 |  | 子供の頃から車好きだった私は、遊園地のゴーカートから始まりカートコースのレンタルカートへ、ライセンス取得可能年齢の12歳になるとすぐにカートライセンスを取得し、レースに向けて練習を重ねました。レース経験を積み重ねるにつれてドライビングテクニックも上達し、1996年には関西カートランドFR-2クラス・シリーズチャンピオンに輝きました。 |
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 |  | 普通車運転免許取得と同時に、筑波サーキットに隣接するレーシングスクールへ入校。半年間ドライビングテクニックを習得後、筑波サーキット、ツインリンクもてぎのFJ1600シリーズへ参戦。1年目にしてツインリンクもてぎ、鈴鹿サーキット東コースのコースレコードを樹立しました。2年目は、筑波サーキット、ツインリンクもてぎのダブルタイトル獲得を目標に掲げシリーズを戦いました。結果として、筑波シリーズではランキング7位、ツインリンクもてぎシリーズではランキング2位となり目標達成にはおよびませんでした。FJ最終戦の日本一決定戦(キングオブキングズ)に参戦、6位を入賞を果たし、USAスカラシップを受賞しました。 |
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 |  | 海外に挑戦の場を移し、
スカラシップドライバーとして挑んだ2000年Skip Barber Formula Dodge Eastern Championshipでは、毎戦レベルの高い厳しいレースを繰り広げながら16戦中11勝を上げシリーズランキング2位を獲得し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。 Eastern
Championshipシリーズ終了後行われたNational Championship(全米選手権)に参戦、予選から好調でポールポジションを獲得、決勝では接戦をものにし、ポール
to ウインで優勝する事が出来ました。 |
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 |  | 前年の好成績の結果、アメリカでのステップアップを果たしました。さすがにPro
Seriesだけあり、レベルが高く、結果はシリーズランキング10位に留まってしまいました。しかし私にとってこの1年は、Champ Car(CART)などの上級カテゴリーレースとの同時開催など、サーキットでのレース環境、英語によるエンジニアとのコミュニケーション、データ解析など、今までに経験した事の無かった事を多く体験し、レーシングドライバーとして、何が必要なのかを確実に掴んだ年となりました。
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 |  | 2001年の経験をもとに今の私に足りないものを補えるカテゴリー。
速い事は当然、それ以外に体力、レーシングカーに対する知識、人とのコミュニケーションなどの能力を向上させるには、各界の優秀なアドバイザーから多くのことを吸収できる環境がそろっている事。レースで最優秀ドライバーに輝けば、海外へのレース参戦を可能にするスカラシップ制度。私の目標である、5年後にアメリカのトップカテゴリーCARTやNASCARなどのトップドライバーになるための手段としてFormula
Dreamは最適だったのです。 |
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